SNSで「死にたい」女性2人を殺害、32歳男に懲役10年判決【さいたま地裁】
2025年7月17日、さいたま地裁で下された判決は、現代社会が抱える闇の深さを改めて突きつけるものだった。横浜市と茨城県に住んでいた女性2人を、本人の同意を得たうえで殺害したとして、承諾殺人などの罪に問われていた無職・斎藤純被告(32)に対し、裁判所は懲役10年の実刑判決を言い渡した。検察側の求刑は懲役13年であり、裁判所は一定の情状を認めたものの、2人の命を奪った重大性から厳しい判断を下した形である。SNSを通じて「死にたい」と訴える人々と接触し、その願望に応じる形で犯行に及んだとされる本件。被害者の同意があったとはいえ、なぜこのような悲劇が起きてしまったのか。事件の詳細と背景、そして私たちが考えるべき課題について深く掘り下げていく。
事件の全体像
この事件が明るみに出たのは、2024年のことだった。斎藤被告は、インターネット上で知り合った女性たちと接触し、「死にたい」という彼女たちの訴えに応じる形で殺害行為に及んだとされている。被害者は横浜市在住の女性と茨城県在住の女性の2人。いずれも、SNSやインターネット掲示板を通じて斎藤被告と知り合ったとみられる。
承諾殺人とは、被害者本人の嘱託や承諾を得て殺害する行為を指し、刑法第202条に規定されている。通常の殺人罪が死刑または無期もしくは5年以上の懲役であるのに対し、承諾殺人は6月以上7年以下の懲役または禁錮と、法定刑が大幅に軽くなっている。しかし、今回の判決で懲役10年という刑が言い渡されたのは、承諾殺人罪だけでなく、他の罪状も併合されていたためと考えられる。
裁判の過程で明らかになったのは、斎藤被告が複数の女性と同時期に連絡を取り合っていた事実である。「一緒に死のう」「楽にしてあげる」といった言葉で被害者たちの信頼を得ていったとされ、その手口は計画的かつ巧妙だった。被害者たちは精神的に追い詰められた状態にあり、そこに付け込む形で犯行が行われたという見方が有力である。
さいたま地裁が懲役10年という判決を下した背景には、2人の命が奪われたという結果の重大性がある。求刑13年に対して3年減じられたものの、承諾殺人の法定刑上限を大きく超える刑期となったのは、被告の行為が単なる「同意に基づく殺人」の範疇を超えていたと裁判所が判断したためだろう。
被害の実態と手口の詳細
斎藤被告の手口は、近年社会問題化している「SNS型自殺誘引」の典型例といえる。被告はTwitter(現X)や匿名掲示板などで「死にたい」「消えたい」といった投稿を検索し、精神的に追い詰められている人々に接近していったとみられる。
被害に遭った女性たちは、いずれも孤立した状況にあったという。家族や友人との関係が希薄で、相談できる相手がいなかった。そこに現れた斎藤被告は、「話を聞くよ」「気持ちはわかる」と共感的な姿勢を見せ、徐々に信頼関係を構築していった。こうしたグルーミングと呼ばれる手法は、性犯罪だけでなく、今回のような事件でも用いられている実態がある。
被告は被害者たちとの連絡を重ねる中で、「一緒に死のう」という提案を持ちかけた。しかし、実際には被告自身が死ぬ意思はなく、一方的に被害者を殺害したとされている。この点が、裁判において重要な争点となった。承諾殺人が成立するためには、被害者の真摯な同意が必要とされるが、被告が虚偽の約束で被害者を欺いていた場合、その同意の有効性が問われることになる。
2017年に発覚した座間市の事件では、9人もの若者がSNSで知り合った男に殺害された。あの事件もまた、「一緒に死のう」という甘言で被害者をおびき寄せる手口だった。今回の事件との類似性は明らかであり、SNS承諾殺人事件で懲役13年求刑、座間事件に触発された被告に7月17日判決でも詳しく報じたように、こうした犯罪は決して過去のものではない。
被害者の遺族の心情は察するに余りある。「死にたい」と思っていたかもしれない家族を、見知らぬ男に奪われた。しかも、その男は自分だけ生き残っている。遺族が抱える怒りと悲しみ、そして「なぜ気づいてあげられなかったのか」という自責の念は、一生消えることがないだろう。
背景にある社会問題
この事件は、日本社会が抱える複数の問題を浮き彫りにしている。最も深刻なのは、若者を中心とした孤立と精神的危機の問題だ。厚生労働省の統計によれば、日本の自殺者数は年間約2万人。特に10代から30代の死因第1位は自殺であり、先進国の中でも突出して高い水準にある。
なぜこれほど多くの人が「死にたい」と思い詰めてしまうのか。その背景には、経済的困窮、人間関係のトラブル、職場でのハラスメント、将来への不安など、様々な要因が複雑に絡み合っている。しかし、より根本的な問題は、そうした苦しみを打ち明けられる場所がないことではないだろうか。
かつての日本社会には、地域のつながりや大家族制度など、困ったときに頼れるセーフティネットが存在した。ところが、都市化と核家族化が進んだ現代では、そうしたつながりが急速に失われている。一人暮らしの若者が精神的に追い詰められても、誰にも相談できないまま孤立していく。そんな状況が珍しくなくなっている。
SNSの普及は、この問題をさらに複雑にした。確かに、SNSは孤立した人々が他者とつながる手段を提供している。しかし同時に、匿名性を悪用した犯罪者が、脆弱な人々にアクセスする経路にもなっている。「死にたい」とつぶやけば、共感してくれる人が現れる。それが本当に心配してくれる人なのか、それとも悪意を持った人間なのか、見分けることは極めて難しい。
尼崎連続変死事件から14年|家族を支配した女の真相に迫るで取り上げたように、人の弱みに付け込み、精神的に支配して破滅へと追いやる犯罪者は後を絶たない。今回の斎藤被告もまた、被害者たちの精神的脆弱性を見抜き、そこに付け込んだのである。
精神科医療の不足も深刻な問題だ。心療内科や精神科の初診予約は、都市部でも数週間から数ヶ月待ちが当たり前になっている。「死にたい」と思っている人が、数ヶ月後の予約を待てるはずがない。行政の相談窓口も、平日の日中しか対応していないところが多く、働いている人にとってはハードルが高い。
捜査・裁判の現状と今後の展開
今回の判決で懲役10年が言い渡されたが、これで事件が終わったわけではない。被告側が控訴する可能性もあり、裁判の行方はまだ不透明だ。また、検察側も求刑通りの判決が得られなかったことを受けて、控訴を検討する可能性がある。
裁判の過程では、承諾殺人の成立要件について詳細な審理が行われたとみられる。被害者が本当に死を望んでいたのか、その同意は自由な意思に基づくものだったのか。被告が「一緒に死ぬ」と約束しながら自分だけ生き残ったことは、同意の有効性にどう影響するのか。こうした点について、裁判所は慎重に判断を下したはずだ。
茨城介護施設殺人事件、一部無罪で懲役20年判決に弁護側が控訴のケースでも見られたように、殺人事件の裁判では、事実認定と量刑の両面で激しい争いが繰り広げられることが多い。今回の事件でも、被告側は「被害者の真摯な同意があった」と主張し、検察側は「同意は欺罔によって得られたもので無効」と反論したと推測される。
捜査機関にとっても、今回のような事件は困難を伴う。被害者が生前に「死にたい」と発言していた記録が残っていれば、それが承諾殺人の根拠とされてしまう可能性がある。しかし、本当に死を望んでいたのか、それとも一時的な感情の発露だったのかを死後に判断することは極めて難しい。
SNS上でのやり取りの復元も、捜査の重要なカギとなる。被告と被害者の間でどのような会話が交わされたのか、被告がどのような言葉で被害者を誘導したのか。こうした証拠を確保することで、犯行の計画性や悪質性を立証していく。近年はメッセージの自動消去機能を使って証拠隠滅を図る犯罪者も増えており、デジタルフォレンジック技術の向上が求められている。
今後の展開として注目されるのは、同種事件への抑止効果だ。今回の判決が広く報道されることで、同様の犯行を企てる者への警告となることが期待される。しかし同時に、「死にたい」と思っている人が声を上げにくくなる萎縮効果も懸念される。支援につながる発信と、犯罪者に狙われるリスク。この両方を考慮した対策が必要だ。
私たちが身を守るためにできること
このような悲劇を繰り返さないために、私たちには何ができるのだろうか。被害者の立場、周囲の人間の立場、そして社会全体の立場から考えてみたい。
「死にたい」と感じている人に伝えたいのは、見知らぬ人の甘言を信じないでほしいということだ。SNSで出会った人が「一緒に死のう」「楽にしてあげる」と言ってきても、その人物が本当に信頼できるかどうかは全くわからない。むしろ、そうした言葉をかけてくる人物は、ほぼ確実に悪意を持っている。本当にあなたのことを心配している人は、死を勧めるのではなく、生きる道を一緒に探そうとするはずだ。
公的な相談窓口の存在も知っておいてほしい。「いのちの電話」(0570-783-556)や「よりそいホットライン」(0120-279-338)は24時間対応しており、匿名で相談することができる。SNSでの相談に対応している窓口も増えている。見知らぬ個人よりも、こうした専門機関に頼ることを選んでほしい。
周囲の人間として大切なのは、身近な人の変化に気づくことだ。急に元気がなくなった、「疲れた」「もう嫌だ」といった言葉が増えた、身辺整理を始めた。こうしたサインを見逃さないでほしい。そして、気づいたら声をかけてほしい。「大丈夫?」の一言が、その人を救うきっかけになるかもしれない。
富山県無差別殺人計画を市民が阻止!警察対応の問題点とはで報じたように、市民の「気づき」と「行動」が悲劇を防ぐことがある。身近な人の異変に気づいたとき、一歩踏み込む勇気を持つことが大切だ。
社会全体としては、孤立を防ぐ仕組みづくりが急務である。地域のつながりを再構築し、困ったときに頼れる場所を増やす。精神科医療へのアクセスを改善し、気軽に相談できる環境を整える。学校や職場でのメンタルヘルス教育を充実させ、「助けを求めることは恥ずかしいことではない」という意識を広める。こうした取り組みの積み重ねが、長期的には社会全体の自殺率を下げることにつながるはずだ。
SNS事業者の責任も問われるべきだろう。「死にたい」という投稿を検出し、適切な相談窓口への誘導を行う仕組みは、一部のプラットフォームでは既に導入されている。しかし、悪意ある人物が脆弱なユーザーに接触することを防ぐ対策は、まだ十分とは言えない。技術的な対策と、利用者教育の両面からのアプローチが求められる。
内縁の妻嘱託殺人で52歳男に拘禁4年求刑|5000万円借金の末にの事件でも浮き彫りになったように、人が「死」を選ぶ背景には経済的な問題が絡んでいることも多い。生活困窮者への支援を充実させることも、間接的ではあるが、こうした事件の防止につながるのではないだろうか。
まとめ
斎藤被告に対する懲役10年の判決は、2人の女性の命を奪った罪の重さを示すものだった。しかし、どれほど厳しい刑罰を科しても、失われた命は戻ってこない。この事件から私たちが学ぶべきは、なぜ被害者たちが「死にたい」と思い詰めてしまったのか、なぜ見知らぬ男の言葉を信じてしまったのか、という点だろう。
孤立と精神的危機は、現代社会が生み出した病理である。SNSという新たなコミュニケーションツールは、その病理を悪化させる方向にも、癒やす方向にも働き得る。犯罪者に悪用されるリスクを認識しつつ、本当に苦しんでいる人を支援につなげる仕組みを構築していく必要がある。
「死にたい」という声は、「助けてほしい」という声でもある。その声を、悪意ある人間ではなく、適切な支援者が受け止められる社会を作ること。それが、この事件の被害者たちへの何よりの弔いになるのではないだろうか。二度とこのような悲劇が繰り返されないことを、心から願ってやまない。
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