昔流行った物はなぜ消えた?セグウェイ・ハンドスピナーの栄枯盛衰

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かつて街中で見かけるたびに「あれ何?」と二度見してしまったアイテムが、今では完全に姿を消していることに気づいたことはないだろうか。流行というものは不思議で、登場した瞬間は「これが未来だ」「これなしでは生きられない」とまで言われたものが、気づいたら誰も口にしなくなっている。セグウェイ、ハンドスピナー、チーズハットグ——それぞれまったく異なるジャンルのアイテムでありながら、「世界を席巻した」「突然消えた」という共通点を持つ。今回はそんな「かつての大流行品」たちの栄枯盛衰を深掘りし、なぜ人はこれほど熱狂し、なぜこれほど冷めてしまうのかという普遍的な問いに迫ってみたい。

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動画で語られている謎の概要

たっくーのショート動画「昔めちゃくちゃ流行った物Part2」では、セグウェイ・ハンドスピナー・チーズハットグという三つのアイテムが紹介されている。それぞれ登場した年代も性質もまるで違うのに、「爆発的に流行した」「しかし突然終わった」という構造が驚くほど一致している。

2001年に登場したセグウェイは、電動で自立走行する二輪車として「人類の移動手段を変える」と宣言されて世に出てきた。2017年のハンドスピナーはSNS発の小さなガジェットで、「集中力が上がる」という触れ込みで瞬く間に世界中に広まった。そして2019年のチーズハットグは、K-POPブームという文化的な波に乗り、インスタ映えという視覚的な魅力を武器に日本の若者を中心に爆発的な人気を得た。

しかし動画では、どのアイテムにも「終わりは突然やってきた」というナレーションが入る。セグウェイはオーナーの転落死亡事故と価格・バッテリー問題で失速し、ハンドスピナーは「数ヶ月で大量廃棄」となり、チーズハットグはコロナ禍と「一つでいいか」という飽和感によって閉店ラッシュに追い込まれた。これほど異なる背景を持つ商品たちが、なぜ同じような末路を辿るのか。その謎を解き明かすことが、この記事の主題でもある。

核心:何が起きているのか

そもそも「流行」とはどういう現象なのかを考えてみると、その本質は「共有される期待感」にあると言えるかもしれない。セグウェイに人々が熱狂したのは、単にあの奇妙な乗り物が欲しかったからではなく、「未来に乗っている自分」というイメージへの憧れが根底にあったはずだ。ハンドスピナーを回し続けた人々も、「これで集中力が上がるなら」という期待があったからこそ購入し、SNSで拡散した。チーズハットグを並んで買った人々も、チーズが糸を引く瞬間をInstagramに上げることで「おしゃれで感度の高い自分」を演出できるという価値があったのである。

ところが、流行の熱狂が頂点に達した瞬間から、実は冷却のカウントダウンが始まっているとも言える。これは「失望のサイクル」とでも呼ぶべき現象で、期待が大きければ大きいほど、現実との乖離が失望に変わるスピードも速くなる。セグウェイは「人類の移動手段を変える」と宣言されたが、現実には公道を走れる国や地域が限られており、価格も数十万円と一般人には到底手が届かない代物だった。さらにバッテリーの持続時間や充電問題が日常使いを阻み、購入者の多くが「思ったより不便」という感想を持つことになった。

ハンドスピナーのケースはさらに象徴的だ。「集中力アップ」という主張に科学的根拠はほぼなく、むしろ教室でクルクル回す子どもたちが授業に集中できないとして、多くの学校が使用禁止にした。SNSで「流行っているから買った」という消費者が大半を占めていたため、流行が止まった瞬間に購入動機も消滅し、大量の在庫が市場に溢れかえった。チーズハットグもまた、インスタ映えという消費目的が満たされた後には、「味よりもビジュアルのためだけに食べていた」という冷静な気づきが広まり、リピーター獲得に失敗したという側面がある。

驚くべきことに、これら三つの事例に共通するのは「本質的な価値の問題」ではなく、「期待と現実のズレ」だという点だ。製品やサービス自体が根本的に悪かったわけではなく、それが「変える」とか「解決する」と宣言されたものとの落差が、流行の終焉を招いたとも言えるのではないだろうか。

歴史的・文化的背景

見落とされがちだが、「流行っては消える」という現象は21世紀特有のものではまったくなく、人類の歴史と常に寄り添ってきた普遍的なサイクルである。17世紀のオランダでは「チューリップ・バブル」と呼ばれる現象が起き、一輪のチューリップが家一軒分の価格で売買され、最終的には市場が崩壊した。これは世界最初の投機バブルとも言われているが、本質的には「珍しい・美しい・持っていると自慢できる」というセグウェイやハンドスピナーと同じ構造を持っている。

文化的な視点から見ると、日本社会は特に「流行の受容と廃棄」のサイクルが速い文化圏とされている。「物が溢れている社会」では、珍しさという価値が非常に早く消耗するからだ。チーズハットグが日本で爆発的に流行した2019年は、ちょうどSNSのビジュアル文化が成熟期に入り、「映える食べ物」というジャンルが確立された時期でもあった。タピオカミルクティー、マリトッツォ、バスクチーズケーキと次々と「インスタ映えフード」が登場しては消えていったが、これらはすべてビジュアルが購買動機の大きな部分を占めていたという共通点がある。

興味深いことに、K-POPという文化的波及効果もチーズハットグの流行には大きく関わっている。2010年代後半から2020年代にかけて、BTS・BLACKPINK・TWICEといったアーティストが日本を含む世界市場で圧倒的な影響力を持つようになった。K-POPファンはアーティストの文化圏全体に強い憧れを持つ傾向があり、韓国の食文化・ファッション・コスメがセットで「クール」なものとして輸入されていった。チーズハットグはそのシンボル的な存在だったのである。

一方、セグウェイが登場した2001年という年代も見逃せない。インターネットが普及し始め、世界はテクノロジーによって根本的に変わるという楽観的なムードが漂っていた時代だ。ちょうどITバブルが弾けた直後という微妙なタイミングでもあったが、セグウェイの開発者ディーン・ケーメンは「これは自動車の発明に匹敵する」とまで言い切った。この壮大な宣言が逆に、後の失望を大きくした可能性も指摘されている。実際、アメリカの著名投資家や著名人がこぞって注目し、スティーブ・ジョブズでさえ「人類史上最も革命的な発明かもしれない」とコメントしたとされているが、結果として一般市場への浸透は限定的なものにとどまった。

関連事例・類似現象

実は、セグウェイ・ハンドスピナー・チーズハットグ以外にも、同様の「爆発的流行→突然の消滅」を経験したアイテムはいくつも存在する。それらを見ていくと、流行の構造がより鮮明に浮かび上がってくる。

まず思い浮かぶのが「タマゴッチ」だ。1996年にバンダイから発売されたこのデジタルペットは、世界で7000万個以上が売れるという驚異的な数字を叩き出した。「育てる楽しみ」というコンセプトが新鮮で、子どもも大人も熱中したが、ピークから数年で市場は急速に縮小した。その後も何度かリバイバルが試みられているものの、かつての熱狂を超えることはできていない。タマゴッチの場合、「飽き」という単純な理由に加え、「学校への持ち込み禁止」「職場での使用問題」という社会的な摩擦が流行の終焉を加速させたとも言われている。

より現代的な事例としては「NFT(非代替性トークン)」が挙げられるだろう。2021年から2022年にかけて、デジタルアートに数億円の価値がつくという前代未聞の現象が起き、「これが未来の資産だ」と信じた投資家や著名人が続々と参入した。しかし2023年以降、NFT市場は急速に冷え込み、かつて数千万円で取引されたアートの多くが数円以下の価値になるという事態が起きている。「価値があると信じる人が多ければ価値が生まれるが、信じる人が減った瞬間に価値は消える」というバブル的構造は、チューリップ・バブルからNFTまで一貫して同じなのかもしれない。

食べ物のトレンドで言えば、2020年代初頭の「マリトッツォ」も記憶に新しい。イタリア発のクリームたっぷりパンが日本でも大流行し、東京の有名パン屋には連日行列ができた。しかし2022年頃を境に、マリトッツォを前面に押し出したカフェは激減している。「美味しいけれど、何度も食べるほどではない」という感想が広まり、チーズハットグとまったく同じ轍を踏んだとも言える。

専門家の見解と反証

マーケティングや消費者行動の研究者たちは、こうした「バズっては消える」という現象を「フォモ消費(FOMO消費)」と呼ぶことがある。FOMOとは「Fear Of Missing Out」の略で、「乗り遅れることへの恐怖」を意味する。SNSが普及した現代では、フォロワーやタイムラインを通じて「みんなが持っている・体験している」という情報が可視化されるため、その波に乗らなければならないという強迫観念が消費を後押しするのだという。

考えてみれば、ハンドスピナーを購入した多くの人が「自分がどうしても欲しかった」というよりも「みんながやっているから」「SNSで話題だから」という理由で手を出したのではないだろうか。FOMO消費の特徴は、購買動機が「本質的な価値への評価」ではなく「周囲との同調」にある点だ。そのため、流行の熱狂が冷めた瞬間に「なぜ自分はこれを買ったのか」という冷静な疑問が湧き、購買意欲が急速に失われてしまう。

一方で、「流行の消滅」を否定的に捉えすぎることへの反論もある。経済学的な観点では、流行と廃れを繰り返すことで市場が活性化し、次の革新的な製品やサービスへの投資が促されるという見方もある。セグウェイが失敗したとされる一方で、その技術的なフィードバックが電動キックボードや電動自転車の開発に活かされたという指摘もある。「流行は無駄ではなく、次の何かへの踏み台である」という視点は、流行の終焉を悲観的に見るだけでは見えてこない重要な側面かもしれない。

また、社会学的には「流行の短命化」そのものが現代文化の特徴であり、必ずしも悪いことではないという議論もある。多様な流行が生まれては消えることで、社会全体に文化的な多様性と新陳代謝がもたらされるという考え方だ。特定のトレンドに長期間縛られるより、次々と新しいものを体験できる現代社会の方が、個人の選択の自由という観点では豊かであるとも言えるのである。

考察と現代への示唆

動画の最後にたっくーが「みんなのマイブーム教えて」と呼びかけているのが、実は非常に示唆的だと感じる。「マイブーム」という言葉は、個人的な熱中体験を指すが、SNS時代においてはマイブームはすぐに「みんなのブーム」へと変換される可能性を持っている。個人の体験が可視化され、共有され、拡散される速度が上がるほど、ブームの形成スピードも消滅スピードも加速するという逆説的な状況が生まれているのではないか。

興味深いことに、2024年現在、ファッションや食の世界では「Y2Kリバイバル」「レトロブーム」という形で、かつての流行品が再評価される動きが見られる。ハンドスピナーはさすがに復活していないが、タマゴッチは何度もリバイバルしており、セグウェイの後継として電動キックボードが都市部に浸透しつつある。チーズハットグも完全に消えたわけではなく、韓国フード専門店やフードコートの一角に静かに生き残っている。流行の「終わり」は、完全な消滅ではなく「熱狂から定着への移行」である場合も少なくないのかもしれない。

現代への示唆として最も重要なのは、「流行に乗ること」と「本質的な価値を見極めること」のバランスかもしれない。FOMO消費に完全に抵抗することも、逆にすべてのトレンドを無視することも、現代社会では現実的ではないだろう。むしろ、「なぜ今これが流行っているのか」「この熱狂の背後にある本質的な価値はどこにあるのか」を意識的に問う習慣が、流行に踊らされずに楽しむための知恵になるのではないだろうか。

さらに言えば、セグウェイ・ハンドスピナー・チーズハットグという三つの事例は、それぞれが「技術」「遊び」「食文化」という異なる領域に属しながら、すべてが「人々の欲求と現実のズレ」によって終焉を迎えたと解釈できる。流行とはある意味で、社会全体が特定の夢を短期間だけ共有する集団的な体験であり、その夢が現実に着地した時点で熱狂は終わるのだ。その視点から見ると、流行の「終わり」は失敗でも消滅でもなく、「現実との和解」のプロセスとして理解できるかもしれない。

まとめ

セグウェイは「未来の乗り物」として、ハンドスピナーは「集中力ガジェット」として、チーズハットグは「インスタ映えフード」として、それぞれの時代の欲求と期待を一身に引き受けて爆発的に流行した。しかし、期待が大きければ大きいほど、現実との乖離が失望に変わるスピードも速くなる。この構造は17世紀のチューリップ・バブルから現代のNFTまで、驚くほど変わっていないとも言えるだろう。

だからといって、流行を「無駄だった」と片付けることは正しくないかもしれない。流行は社会が新しい価値観や技術・文化に向き合うための実験であり、その失敗や廃れの中に次の何かが宿っていることも多い。「昔めちゃくちゃ流行ったもの」を懐かしむとき、私たちはただノスタルジーに浸っているだけでなく、自分たちがどんな夢を見ていたかを振り返っているのかもしれない。そしてその夢の痕跡こそが、時代の記憶として刻まれていくのではないだろうか。あなたの「あのとき熱中していたもの」は何だろうか。

元動画: 昔めちゃくちゃ流行った物Part2 #shorts(たっくー)

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